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◆◆◆ 2006年度コラムバックナンバー ◆◆◆


11月 秋の終わりに 12月 一年雑感
9月 去り行く高校球児達へ 10月 秋におもう
7月 覚悟して生きる 8月 義母に学ぶ
5月 不苦不楽 6月 GoodLack、歌舞伎町の若き戦士達
3月 故三浦敬三氏に学ぶ 4月
1月 新春にあたって 2月 雑草と言う名の草花



12月のコラム:一年雑感

毎日暖かな日が続いてますが、樹木は色をかえ、時折風に枯れ葉が舞い、確実に冬の寒さは近付いてきています。2006年もあと残りわずかになりました。
 今年は、大きな竜巻きが起ったり、白菜やピーマンが採れすぎたり、秋刀魚が大量に海岸へ打ち上げられたり、湖に迷い込んでしまったりと、何やら自然が大きく変化しているような、そんな予感を感じさせる出来事の多い年でしたね。ピーマンを大量に畑に捨て、トラクターで踏みつぶしている光景は、テレビを見ている私をやりきれなく悲しくさせる映像でした。でもそれをしなければいけない農家の方々は、私などが想像も出来ない程の悲しみと辛さを味わっていらっしゃる事でしょう。
 自然の変化だけではなく日本人のこころのまでもが、
何となく変な方向へと向かっているように感じるのですが、私の取り越し苦労でしょうか。この数年、交通事故の死亡者数よりも、自殺者の数の方が多いといわれています。それだけ生きにくい世の中になったという事でしょうか。私にはそこに現代人のこころの脆弱さが見える気がするのですが、・・・
 子供達の自殺、昔では信じられない事です。でもこれは子供達の問題ではなく、子供達と一緒に今を生きている、私達大人の問題ではないでしょうか。大人達がもっと自分自身に自信を持って、明るく前向きに生きられたら、そんな大人達の背中を子供達に見せる事が出来たら、子供達も希望を持って困難に打ち勝ってゆけるのでは、と思ったりしているのですが、・・・
街では、クリスマスのイルミネーションが光り輝いています。私達大人の手で子供達のこころの中に、大きな光を灯してあげる。それが今を生きる私達のなすべき事のように思うのですが。
 

今月の健康メモ―12月―

.. 普段は泰然自若、まわりからは師と仰がれているような人も、この月だけはついつい走り出すといわれる月、師走、一年の締めくくりの月であると同時に新しい年への準備の月でもあります。
 クリスマスに忘年会、そしてお正月の準備に大掃除とイベントの多い月でもあります。疲労を溜め込まないよう注意しましょう。その為には、バランスのよい食事と程よい睡眠が必要です。ベットに入ったらゆっくりと腹式呼吸などをして、早くに深い睡眠に入れるようこころがけましょう。疲労がたまると、風邪などを引きやすくなります。風邪の原因は疲労と冷えとよくいわれます。食事はからだをあたためる陽の食品、根菜類を多く摂ることをお薦めします。
...12月はイベントが多い分、飲み過ぎ食べ過ぎになりがちです。飲み過ぎはもちろん食べ過ぎも疲労のもと、からだの中に余分な毒素を溜め込まない注意が肝要です。アルコールは、たとえ少量でも24時間からだの中に残るといわれています。週に1日くらいの休肝日が必要かもしれませんね。年があけると、今度は新年会、当分アルコールとの熱きおつき合いが続きそうです。自分のからだと相談をしながら、程よいおつき合いを!



11月のコラム:秋の終わりに
 
 々の流れは速いものですね。ついこの間、秋の訪れを聞いたばかりと思っていたのに、もう立冬霜月です。11月はほかに、霜降月、雪見月などという呼び方もあります。霜が降り、雪の降り出す季節という事ですが、気候の変化してしまったこの頃では、生活感のない呼び名になってしまいました。
 私が子供の頃には、この時期、庭や道の端には霜柱が立ち、吐く息は白くなり、かじかんだ手に息を吹きかけながら、たんぼ道を学校へ通ったものでした。道の端の霜柱を踏み締めると、さくさくと音をたて、それが面白くわざと歩きにくい道の端を歩いたものです。
 稲刈りも終わり、脱穀も済んだたんぼは、水気をなくした土がひび割れ、タニシの巣穴があちこちに見つかりました。子供達は時には友達同士、時には親と一緒にタニシ取りに出かけたものです。
 今程個人の所有権を主張しない時代でしたから、稲刈りの終わったたんぼには、誰でも自由に入る事が出来、思う存分タニシ取りが出来ました。今考えるとそれほど美味しいものでもなかったと思うのですが、みそ汁の味噌の味のしみた、こりこりとした感触と、あの土臭い香りは今も頭の中に残っています。
日本人が民族共同体的な、のどかでおおらかなこころを持っていた時代でした。時代が変わり、気候が変わり、あのおおらかな大きなこころは、だんだんとキャ パシティーが狭くなり、自分の世界を小さな箱の中に求めるようになりました。人と人との出会いさえも、小さな箱を介在させようとしています。
 私の箱の中にも、出会いを求める人達のためへの『御招待状』が毎日たくさん届けられます。それらを処分するために、毎日相当な時間を取られてしまいます。それらが全て悪いとはいえませんが、それによって自分の人生を狂わせている人たちが、たくさんいる事は毎日のニュースで明らかです。あの小さな箱は、現代社会にはなくてはならない、素晴しい機械です。自宅に居ながら我々を全世界と結び付けてくれます。しかし、それに使われてしまわない人生を、送りたいものです。



今月の健康メモ

 
暖かい、暖かいとは言うものの、もうすぐ本格的な冬の訪れが迫っています。特に今年は例年以上に暖かい日が続いていますが、日中と夜との温度差が大分あります。うっかりすると体調を崩し、風邪を引き込んでしまいます。そうしないためには、日が陰ったら着ているものを一枚多くするくらいの心がけが必要です。特に下半身をしっかりと保温しましょう。夜はシャワーだけですますなどという事をせず、ゆっくりと湯舟に漬かりましょう。出来る事なら週に2、3度『おばあちゃんの腰湯』をおすすめします。
夏から秋にかけての疲れがどっと出るのもこの時期です。ゆっくりとからだを休め、師走の忙しさにたえられる体調をつくっておきましょう。


10月のコラム:秋におもう
 
 今年の夏はいつやって来て、いつ去って行ったのでしょう。気がつけば朝夕はめっきりと涼しくなり、陽が落ちるとともに虫達の合唱が聞こえて来ます         。
曼珠沙華の花はそろそろ枯れはじめ、コスモスが咲き誇っています。空を見上げれば、もうすっかり秋の色のです。暑い夏から、寒い晩秋から冬への衣替えの季節でもあります。
人間界でどんな事が起ろうと、人々の心根がどのように変わろうとも、そんな事に惑わされる事なく宇宙は確実に、そして正確に時を刻んで行きます。
そんな宇宙のリズムの中で、我々も宇宙の一員として生きています。宇宙のエネルギーを呼吸して、大きな命の河を流れています。私たちの祖先の数を10代前
迄辿ったら、どのくらいの数になるのかと試しに計算してみました。なんと2,044人にもなりました。これは父母系だけをたどったものです。これに兄妹の数をたしていったらどのくらいの数になる事でしょう。想像しただけで気が遠くなりそうです。
私たちはそんな膨大な命のリレーの最先端に、今存在しています。そしてそんな祖先達の、様々な『思い』をも引き継いで今ここにいます。
お釈迦様のお話では、私たちが次にこの世に人間として生れてくる迄には、2,000年かかるそうです。2,000年に一度の命です。
 お釈迦様のお話を、そのまま信じるかどうかは別にしても、それほど貴重な命です。その貴重な命が今とても粗末に扱われています。テレビでは毎日、朝から様々なニュースが流れて来ます。今や小学校でさえも、殺人事件の現場だったりします。日本人はいつからこんなに、命を粗末にするようになってしまったのでしょう。
日本が、飽食の時代といわれるようなってから、もう大分たちます。我々は食べ物がありあまって、ゴミ箱に捨てています。でも世界のどこかで食べ物がなくて、子供達が次々と死んでいます。私たちが今こうしているこの瞬間にも、世界のどこかで子供達が餓死しているのです。
食べる事=生(命)に繋がっています。食べ物を粗末にするこころ=生(命)を粗末にするこころ、とはなっていないでしょうか。
食べ物も皆何かの命です。私たちは自分で直接手を下してはいないけれど、何かの命を奪って自分の命を支えています。命の価値の軽くなってしまった原因が、色々と論じられ危惧されていますが、こんな観点からも考えてみる必要もありそうですね。
私たちにとって、『命』、『健康』、『精神性の高いこころ』これに勝るたからはありません。私達一人一人がこれらを十二分に持ち合わせた日本人、日本という国であってほしいと切実に感じる、今日この頃です。


9月のコラム:去り行く高校球児達へ

 今年の夏は何時やって来たのやら、連日の長雨が終わったと思うと、いつの間にか朝夕はすっかり、秋の気配を見せはじめています。
そんな自然界とは逆に、この夏の高校野球は、熱く熱くもえました。熱戦につぐ熱戦、最後は延長15回引き分け再試合、さて全国4412校の頂点に立つのはどちらか、駒大苫小牧の大会史上70数年ぶりの夏3連覇なるか、それとも早実の初優勝なるか、大会最後の2日間は高校野球ファンならずとも手に汗にぎり、固唾をのんで見守った事でしょう。
しかしその影で、たくさんの高校3年生球児達が、長い年月ひたすら熱中してきた野球の世界から静かに去って行きました。中には一度も脚光を浴びることなく、野球から離れて行った球児達も、・・・いやその数の方が絶対的に多い事でしょう。ひたすら好きな野球に打ち込み、日の当たらぬまま野球から離れなければならなかった彼らたち、でも大きな夢と希望に胸膨らませ毎日泥まみれになりながら、白球を追って来たこの数年間の経験は、これからの彼らの人生にとって、目に見えぬ大きな宝となる事でしょう。いえ、してほしいと思います。
思えば、この夏の予選本戦に関わらず負けた瞬間が、彼らにとって実質的な野球一筋の生活からの引退を意味しています。それに気付いたとき、私は彼らがとても愛しく思えてきました。
純粋に夢に向かってひたすら走り続けて来た彼らたち、そのひとつの夢は一応ピリオッドを打ったけれど、又新しい目標に向けて歩み続けてほしい。ただ単に大学へ行って、一流企業へ就職をしてといったありふれた目標ではなく、自分に何が出来てなにが出来無いのか、しっかりと自分を見つめ、より大きな目標をかかげ歩いて行ってほしい。君達の後輩は、君たちの後姿を見つめて歩んで行くのだから。


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8月のコラム:義母に学ぶ

  先月のコラムにも書きましたが、私は今、糖尿病の悪化によって全盲になってしまった、妻の母との3人暮しをしています。今年85歳になり、ほとんど
一日中ベットの上で暮らしている義母ですが、頭の冴えはいっこうに鈍ってはいません。ある一点を除いて。
 その一点というのいは、時々、一日に数回不思議な事を言い出します。「○○(人の名前)が悪魔になってやって来て、自分を苦しめている」というものです。最初の内は私には何の事か意味も解らず、随分戸惑ったものです。しかし良く聞いているとそれは、昔まだ若い頃苦しめられ、虐められた近所の人であったり、親戚の人又は姑、しゅうとめだったりなのだと合点がゆきました。
 私の義母は良妻賢母(これも随分古いことばですね。)の見本のような人です。世間から見たら緋のうちどころの無いような人でした。でもそれは自分の中では、とても辛い事だったのでは無いでしょうか。良妻賢母である為には随分色々な事を我慢し、耐えて来たのでしょう。それが、そのような事に気を使わなくても良い今になり、辛い思い出を吐き出すように、様々な悪魔をつくり出しているのでしょう。
 義母の生きて来た時代には、本音を殺し、立て前で生きる。それが当たり前であり、立派な事であったのだと思います。しかし、そうした事によって義母の中には、辛い思い出だけが残りました。今、義母は私たち夫婦に無言の内に『本音で生きろ』と教えてくれているような気がします。
 本音=わがまま、自分勝手と解釈する人もいるかと思いますが、本音とわがままは全然意味がちがいます。本音とは、自分のこころの奥の奥から沸き出してくることばであり考え方です。自分の吐いた言葉や行動に責任を持つ事、責任の持てる生き方。それが本音で生きるという事であると私は信じています。
 今私の義母は、その事の大切さを毎日無言の内に私たち夫婦に教えてくれているようです。
 時代は大きく変わりました。一人一人が本音で楽しく生きて行けたらいいですね。それは、今を生きる私達一人一人の心掛け次第、という事になりそうです。


7月のコラム:覚悟して生きる 

 先日、糖尿病の悪化で全盲になってしまい、ほとんどベット暮しの85歳になる義母の介護をしながら、何気なくつけたテレビで、今村昌平監督『楢山節考』を放映していました。
 この映画は30年以上も前に私のふるさと、長野県戸隠地方に古くから伝わる姥捨て伝説をもとに、ギター奏者だった深沢七郎氏が小説として書き上げ、話題になった作品を映画化したものです。今は亡き往年の名優たちが顔をそろえ、現在、名優と云われているような人たちが、ほとんど無名であちこちに顔を出しています。日本映画華やかなりし頃の名作です。  

 貧しい村の掟として、労働力としては役立たなくなった年寄りたちは、口減らしのため山へ登らなければいけない、山へ入った以上戻る事はもちろん許されません。それは死を意味します。これが戸隠地方に古くから伝わる姥捨て伝説です。もし守らなければ当然の事として村八分にされ、その村では家族全員生きて行く事は出来なくなります。現在50歳代位までの長野県人ならば、子供の頃に1度や2度は聞かされた恐いお話です。
 坂本スミ子扮する老婆は、後に残る家族達の為に自分に出来る全ての事をして、数日後、緒方拳扮する息子の背に乗って山へと入って行きます。どうしても逃れられない定めならば、「覚悟して生きる」そんなことばがぴったりな姿です。
 思えばここにも、そんな生き方をしてきた人がいます。目の前にいる義母の姿と映画の主人公の姿が重なり、映画と現実がオーバーラップし、不思議な感覚におそわれてしまいました。この義母も大変な思いをしながらもしっかりと現実と向き合い、5人の子供を育て上げてきた人です。そして1日のほとんどをベットの上の生活になり、時々不思議な事を言い出した今でも、我々に出来るだけ手をかけさせまいと必死に生きています。そんな義母の姿は私にとって生きる見本であり、誇りでもあります。懐かしい映画を観ながら、人間如何に生きるべきかを真剣に考えさせられた一時でした。  

 団塊の世代と云われた年代の人々が、この1、2年で一斉に社会の第一線から退きます。出生率は年々下がり続けています。日本は老人社会となり、若者たちにとっては厳しい状況がやってきそうです。しっかりと現実を見つめ、自分に許された状況の中でいかに努力をするか、それによって人生は大きく変わって行きます。しっかりと覚悟を決めた人生、送ってほしいですね。
 中高年と呼ばれる年代に入ってしまった私も、もう一度覚悟を決めて、この映画の中の老婆のように、毅然と生きて行こうと密かにこころに決めたのでした。



6月のコラム:Good Luck!、歌舞伎町の若き夜の戦士たち
 
 先日、何気なくテレビを見ていると新宿歌舞伎町のホストたちが、店の開店前にスーツ姿で歌舞伎町の道路のゴミを拾って歩いている姿を写し出しました。
 それを見ている街の人々の反応も好意的な人、批判的な人様々でした。中にはテレビのマイクに向かって、「お前たちがゴミだ」とコメントをしている人もいました。其処までひどくなくても、「自分たちがすてているのだから、拾うのは当たり前」といったコメントなど、どちらかというと批判的な意見の方が多かったような気がします。テレビのキャスターも「何でスーツ姿でやるのですか、ジャージかなにか着てやれば良いじゃないですか。」と、しょうしょう皮肉まじりの質問をしていました。
 何故ゴミ拾いをはじめたのかとの問いに、彼らのリーダーは「お世話になっている歌舞伎町の為に、何か自分たちで出来る事はないか」と考えてと、答えていましたが世間の彼らを見る目は、なかなか冷たいようです。でも彼らを必要とし、彼らに癒され、彼らから生きる力をもらっている女性たちが、今、この日本にはたくさんいる現実は、理解すべきではないでしょうか。
 「ゴミ拾いをする事はいやではないけれど、何の為に自分がやっているのか解らない」と勇気ある発言をしていた人がいました。たぶん「頭では解っているのだけれど、こころで今一つ納得が出来ていない」という事だろうと思います。そして、参加しているホストたちの大部分は、同じ思いなのではと思います。私には彼らのその思いが、とても良く解る気がします。

 私が今のヨガ道場をはじめて約20年、毎朝の掃除は一日も休まず、ひとりでやってきました。妻に変わってもらった事は一日もありません。でも別に大きな決意があった訳はありません。自分の尊敬する師の真似をしてきただけです。
 ダスキンドーナツの社員教育の一番の柱は、店内及び店の周りの掃除だそうです。それを聞いた時、何故そんなに掃除が大事なのか、そして自分はなぜ毎日掃除をするのか解りませんでした。人から汚いと言われたくない、人から良く思われたい、そんな気持ちでやっているのではないかと、何度も自問自答を繰り返したものです。
 そんなある日、すとんと自分のこころの中に落ちてきたことばがあります。それは『感謝』です。ヨガに来てくれているメンバーの方達への、私が今現在出来る一番の感謝の方法、それは毎日毎日道場の隅々まできれいに掃除をして、皆さんに居心地の良い、癒しの場を作り上げる事なのだと気付いたのです。ダスキンドーナツの経営者の考えも、たぶん同じ事だと思います。ただこれは、他人から理屈で教えられても意味のない事です。毎日毎日、同じ事の繰り返しの中から、自分で気付いて初めて意味のある事です。

 新宿歌舞伎町の美しき夜の戦士達よ、周りの目は冷たいかもしれぬ、でも勇気を持って続けてほしい。ある日ある時、きっと自分がやっている事の本当の意味に気付く時がある。その時、君たちのこころの中に人生の大きな糧が生まれるはずだ。Good Luck!、歌舞伎町の若き夜の戦士達。


5月のコラム:不苦不楽

 釈迦のことばに、『不苦不楽』というのがあります。今風に訳すと、「無理せず、楽をせず」という事になるでしょうか。
 このことばは、ヨガを実習する際の心得としてぴったりのことばです。ヨガのポーズをとる時に注意点は、絶対無理をしない事、でも無理はいけないからと楽をしてしまってはこれも駄目、無理でもなく、楽でもないところで身体を動かす。『不苦不楽』このことば程ぴったりと的を得たことばは他にありません。機会がある毎に会員の皆さんに話ています。
 ヨガの心得というだけでなく、私たちの日常の生活訓としても、含蓄のあることばですね。もっとも、お釈迦様は当然の事ながら、ヨガの心得や我々の生活訓として、このことばを発した訳ではありません。その当時の宗教の修行法として、大変な苦業、荒行をしている人たちがたくさんいたようです。そのような修行法について述べた言葉のようですが、そのまま我々の生活にもあてはまりますね。
 我々日本人は、もともとガンバリズムの国民性を持っています。ちょっぴり無理をして、頑張るのが大好きです。人を励ますことばは、ついつい『頑張って」とか「頑張ろうよ」となります。スポーツ選手などは、この頑張ってという応援が、「自分は今、こんなに頑張っているのに、これ以上もっと頑張れというのか」そういう思いがして、とても苦痛に感じる事があると、テレビで話していたのを聞いた事があります。その話を聞いて、他にもっと良いことばがないのかと探しては見るのですが、なかなかしっくりすることばがありません。ついつい「頑張って」と云ってしまいます。
 でもこの頃の様々な事件を見ていると、『快楽』という別の楽を追い求め、それを持続させようとまたまた無理をして、ついには・・・といったケースがたくさんありそうですね。何か、どこかで狂っている、そんな気がして仕方がありません。いずれにしても無理をして良い結果は絶対でません。かといって楽をすれば良いのか、それもちょっと違うようです。
 右か左か、白か黒か、そんな生き方よりも、無理をせずゆっくりと、楽でもなく苦でもない中庸の生き方、それも素晴らしいと思いませんか。
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4月のコラム:命
 
 我が家の庭のあちらこちらに小さなすみれが芽を出し、気の早いものはもうすぐ花開こうとしています。中にはこの頃は見る事も少なくなった、日本すみれなども健気に芽を出しています。チュウリップも、猫の額のような花壇で芽を出し、小さな花を付けはじめました。
 冬の間、枯れてしまっているように見える小さな命たちは、土の中で確実に命の炎を燃やしつづけていたのですね。そして春が来るともに芽を出し、花を咲かせ、我々を楽しませてくれます。命の尊さ、素晴しさをダイナミックに見せつけてくれる季節です。
 しかし我々人間の世界では、命がますます粗末に扱われて行くように、感じるのは私だけでしょうか。テレビや新聞を見ると、命を軽くあつかっているとしか思えないニュースばかりです。我々の命は、何故こんなに軽く扱われるようになってしまったのでしょうか。
 我が家の居間にタマゴッチが一つ、赤いひもで吊るされてぶら下がっています。春休み、可愛い幼稚園児の女の子が、ヨガに来るお母さんと一緒に来て遊んでいて、うっかり忘れていったのですが、どうやら忘れた事も忘れているようなのです。
 私たち夫婦には、これをどう操作したら良いのか解りません。従って、中で育ちはじめていた“いのち”は死んでしまいました。でも誰もその事を悲しむものはいません。何故ってリセットして、はじめからやり直せば良いだけですから。
 こういったバーチャルな”いのち”、この頃はたくさんありますね。我々人間や生物たちの本当の”命”をも仮想のいのちと、同レベルに考えてしまっているのではないかと、思えるような出来事がたくさんありますね。
 これからますます、コンピューター主流の時代になります。バーチャルな世界がどんどん広がって行きます。これからの子供たちがリアリティーの世界と、バーチャルな世界のけじめを、はっきりと付けられるような、若者に育っていってほしいものです。


3月のコラム:故三浦敬三氏に学ぶ

 今、私は先日多臓器不全で101歳の天命を全うされた、故三浦敬三先生と現在94歳でいまだお元気に活躍中の、聖路加国際病院理事長の日野原重明先生の対談集、『100歳「元気生活」のススメ』という本を読んでいます。この本は三浦先生がお亡くなりになる、1〜2ヶ月程前に発売になったばかりの本です。
 この本を読みながら感じることは、我々は自分の年令を意識したその瞬間から、老いがはじまるのでは、ということです。お二人は90だ100だといいながら、実際にはどうやら余り年令のことは気にはしていないようです。私は自分が意識する年令は、実年令の半分と思っているのですが、ちょっと極端すぎでしょうか。
 そしてもう一つ大切なことは、常に好奇心を持って新しいことに挑戦し続けることのようです。我々は、ついある年令を超えると守りに入り、現状を維持しようとし始めます。しかし同じところに留まろうとすることは、たまり水がいつか腐るように、肉体やこころを錆び付かせ、老いさせて行きます。この本を読んでいると、お二人は常に新しいことに挑戦し、前向きに歩きつづけていらっしゃいます。既成概念に捕われず、常に様々なことに興味をもって新しいことを経験して行く、そのことがこころと身体をリフレッシュさせ、若さを保ち続ける秘訣のようです。

 実は私も今月で、満61歳になります。当道場では昨年暮れから、無名道という中国の古い伝統を持った気功の教室を開催しています。その中に硬気功という、東洋武術の原形のような武術気功があるのですが、それを始めてから、私の身体の細胞たちが、ふつふつと音を立てて動き出したような、そして日に日に若返っているような、不思議な感動を味わっています。新しいことを経験することによって、私の肉体は今までとは違った方向へ動きだしたようです。  我々の生命は常に進化の方向を向いて動こうとしています。それを止めるか進めるかは当人次第、ということになりそうです。
 梅の花もそろそろ咲き出しました。桜もあと1ヶ月もすれば満開になります。桜や梅が若木だけが美しい花をつけるわけではありません。老木には老木の何とも云えないしみじみとした、思わず涙の出るような美しさがあります。我々も、その年令だからこそ咲かせられる花を咲かせ続けたいですね。


2月のコラム:雑草という名の草花
 
 だいぶ昔まだ若い頃、私のヨガの師から、「雑草という名の草は存在しない、ただ生える場所を間違えただけ」 と言われたことがありました。そのことばに妙に感動し、こころに残っています。それ以来庭の草むしりをする時などにそのことばを思い出し、柄にもなくこころの中で「ごめんね」などとつぶやいている自分を、発見する時があります。
 庭や花壇に良く生える嫌われ者に、どくだみやオオバコがありますね、硬い地面に張り付くようにして生えるオオバコは、とても手で引き抜くなどということは不可能に近く、結局は鎌で根を途中から切るよりほかありません。どくだみにいたっては一旦生えたが最後、根絶やしにしようと決意したその瞬間から、壮絶な戦いを繰り返す覚悟が必要です。でもそんな嫌われ者の彼らも、漢法の薬草栽培園に生えれば、薬草として大事に大事に育てられます。

 「人間明るいだけが能ではない、暗い人でなければ出来ない仕事もある。葬儀屋のような職業は明るい人には向かない。どうしても明るくなれない人は葬儀屋のように、暗い人でなければいけない職業を選べ。」 これはある人から聞いた、斎藤一人さんのことばです。なるほど、葬儀社のような仕事は、現場に出ずに電話の応対をしているような人でも、明るすぎる人では具合が悪い、現金を数える経理のような仕事にしても、明るく楽し気にやっいるのは、端から見てもあまり感じ良くないかもしれませんね。普通の会社なら「ああ、この会社は儲かって景気が良いんだ」と信用がつくところですが、葬儀屋さんの場合はかえってうさん臭く感じてしまいそうですね。
 どうやら我々人間もそして草花も、それぞれの性格にあわせた”場”というものがあるようです。その”場”に合わなければ、どんなに素晴らしい性格と才能を持っていても、幸せに人生を送ることは出来ない、ということになりそうです。
 自分が自分らしく生きる為には、自分に有った場を探し出すことが、どうしても必要になるようですね。今月は我々日本人や、中国人が長いこと使っていた旧暦の新年に当たります。「一年の計は元旦にあり」この際、もう一度自分自身を見つめ直してみるのもも良いかもしれませんね。


1月のコラム:新春にあたって
 
 明けましておめでとうございます。昨年は、さまざまな事件、事故、災害等が重なりましたが、皆様のお身の回りではいかがでしたでしょうか。皆様にとって良い一年でありますよう、お祈り申し上げます。
 私にとっては、昨年はたくさんの素晴らしい方々とお会いすることが出来、その方々から多きな御力をいただいた一年でした。  
人と人との絆の大切さ、そしてそこから生まれるダイナミックなエネルギーの中に身をおき、大きく変化することが出来ました。私にとっても、等道場にとっても今までにない程の変化をした一年でした。今年はその変化を基により大きな飛躍をと、こころ密かに誓っています。
 昨年の末から「健康人(けんこうびと)の幸せ探検隊」と銘打って、セミナーや気功教室の開催、又、『スリーインワンコンセプト』というホリステックワークも始めました。今年はこれら活動を、もっと大きなものにして行きたいと考えています。
 こう書きながら振り返ってみますと、これらのことが出来たのも決して自分の力ではなく、たくさんの方々に導かれ、お力をお借りして出来たのだとつくずく思います。
 私には今、素晴らしいたくさんの先輩たちと、当道場のスタッフのように動いてくれる、素敵な若い仲間たちがいます。本当に有難いことです。
 日本語には、「おかげさまで」という美しいことばがありますが、今の私は、本当にたくさんの方々のおかげであると思っています。
 これからもこれらの方々や、当道場の会員の方々、このページを見て下さっている皆様のおかげを胸に刻んで、日々の研鑽を積んで行こうと思っています。今年一年、どうぞよろしくお願い致します。
..
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